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硝子のような鏡のような [独りゴト]

3月はあまりうまくニッキが書けず、
こちらももうひとつのブログもあまり更新しなかったのですが。
久々に長くて私らしいエントリーをしようかと。

あ、3月9日付けで1つエントリーしました。
その時書いてたものなのだけど、保留にしてたのでね。
たいした内容ではありませんが一応ご連絡。。。

*****

演奏会が終わって少し経ってから、
普通に生活出来ているのにずっとおかしかったんです。
胸のあたりがモヤモヤして、スッキリしなくて。

原因もわかるようでよくわからず。
逃げたいと思うのに、何から逃げたいかはわからなくて。
春によく起こる現象なので「あぁまたか」とは思うのだけど、
毎年のことながら戸惑ってしまいます。

精神が不安定だと体調にも出ちゃうんですよね。
毎日鼻血が出たり、足が腫れたり(原因不明)、
炎症止めの抗生物質のせいで口内炎が出来たり、肌が荒れたり。
そのうちには仕事するのも苦しくなり、
意味もなく泣きそうになりながら必死になってました。

そんなふうに1ヶ月過ごし。
3月最後の土日、244ENDLI-xのライブへ行きました。

******

私はKinKi Kidsが、光一さんが、剛さんが、とても好きです。
こんなに長いことファンをやっている人は初めて。
ふたりの奏でる音楽が好きだし、ステージが好きだし、
光一さんが見せる仕事に対する真摯な態度も、
剛さんが見せる悩んだり考えたりする姿も尊敬できる。
同世代ということもあって、いろんなことに共感もできるのだと思います。


横浜アリーナで244さんの歌声を聴いて、
愛とかパワーをいっぱいもらって、元気になりました。

クラシックをやっているせいか、
はたまた30目前のオトナであるからか、
KinKiが好きというとおもしろい目で見られたりします。

(まだジャニーズファン~?みたいな)

でも気にしない。

KinKiのコンサートに行っていなければ、
演奏に何かが欠けてるだろうなぁと思うくらいに。
いまや私の生活に普通に存在するのです。


3時間以上もの間、244さんはほぼノンストップで。
力いっぱい歌って、踊って、弾いていました。
その体力というかエネルギーに脱帽。

っていうかね、244さんってホントにすごいんですよ。
ピンと張った声を、あんなふうに会場に響かせられるって。
先輩がよくいう「音を遠くに飛ばす」というのは
こういうことをいうのだろうなぁって思います。


MCは短めだったけれど、
話を聞いていて。

人に惹かれるのに理由なんてないとは思う。
でも全く何もないわけじゃないんだなと。
共感できるところとか、偶然同じことを考えているときがあったりとか、
そういうものが潜んでいるんだなーって思いました。


私も剛くんと同じ頃、音楽に救われた。
高校入学してすぐ、「貝になりたい」と思っていた頃。
一時期本気で学校を辞めたいと思っていたけれど、
それを何とか支えてくれたのは音楽でした。

吹奏楽部の人たちとオーボエ。

それがなかったら、もっとヒドイ人間になっていたと思う。
頑なに自分の殻に閉じこもって、
周りの人の気持ちなんて全然考えなくって、
ただただ自分だけを守ろうとして生きていただろうな。

でも救いという考え方はちょっと間違っていたのかもと思います。

確かに音楽に救われることもいっぱいあるし、
それがあるからこそ頑張れてきたこともあるのは事実だけど。

最終的には。

音楽は手段でしかないのだと思う。

*****

楽器をやっているとか、オケ部に入っているというと、
それだけで「すごいね」といわれることがあります。

中学時代は私もそんな感じでした。
あの頃の私は今以上に何もできなくて、コンプレックスでいっぱいで。
ピアノをやってる人はいっぱいいたけど、フルートを吹ける人はそういなかったから。
人と違う楽器をやっているということが、一種の矛みたいなものだった。
テープとか残ってないんだけど、あの頃の音は結構攻撃的なんじゃないかと思う。

高校で始めたオーボエは。
心を大きく揺さぶるものでありながら、精神安定剤でした。
好きでも楽しくもなく、苦しくてつらいことばかりだったのに、離れることはできなかった。
逃げてばかりの自分が何故逃げなかったのか今でも不思議だけど、
現役で吹いてた2年間、オーボエが私の盾だった。

引退するときにはフルートじゃなくオーボエを選んだわけだけど、
大学時代も社会人になってからも、
音楽は精神安定剤の意味合いが大きかった気がします。

*****

先日とあるイベントのボランティアへ行ったとき、
子ども達の前で演奏をしました。

偶然ボランティアの中にオケの方がいらして、
前日に突然楽器を持ってきてくださいといわれ、
童謡や唱歌の楽譜を数枚渡されたのでした。

イベントのプログラムはきっちり決まっていたし、
演奏する時間なんてないだろうと思っていたら
あるトラブルでぽっかりと時間が空いてしまい、
場つなぎとして演奏することになりました。

童謡や唱歌を何曲か吹いたのだけど。
今の学校では唱歌をやることが少ないらしく、
知らない曲ばかりだったようで。

他のボランティアの方々が一生懸命歌ってくれ、
(場つなぎなのである意味大人は必死)
なんとか間を持たせることができましたが、
ただそれだけでした。

家に帰る途中でものすごく悲しくなって、
ものすごく切なくなって、泣きたかった。

オケの曲目だって半年練習しても
あの程度までしかいかない私が、
1日譜読みしただけで吹けるはずがない。

出来る限り頑張ったつもりだけど、
これは暴力なんじゃないかと思ってしまった。
あまりにもなーんにも考えられてない演奏で。

(やっぱり頭でっかち?)


私の考えだけど。

練習せずに人前で演奏したくはない。
楽器をやっているからちょっと吹きましょうか?っていうのはナシだと思う。
ペンが剣よりも強いのであれば、
楽器もまた武器になりえると思うから。

翌日その無念を同期の友だちに話したら、
「吹いてくれるだけですごいって思うよ」といわれたけど。
そうじゃないと思った。

知らないうちに適当なものを聴かされるというのは
そんなに幸せなことではないと思う。
子どもの感覚はスポンジのようなものだから。

その後のプログラムにミニコンサートがあって。
プロの歌とヴァイオリンを聴いたけれど、
誰でもどんな曲でもどんな場でも、練習は大事だなって思った。

(これは毒です)

(ヴァイオリンは正直コンマスさんの方が数倍素敵に弾けると思う)


でもそんなふうに納得のいかない演奏をして、
悲しくて切なくなったけれど。

「演奏することは楽しいことだ」と思いました。

今までは確かに精神安定剤の意味合いが大きかったけれど、
それもやっぱり少しずつ形を変えていってて。
私が寄りかかるだけのものではなくなっているのだと思いました。
私がそれで何かを話そうとしているのだろうと。

******

音楽は手段でしかない。

そのイベントの帰りに思ったことを
244さんのコンサートのときにも思いました。

剛さんのソロ活動を始めからずっと見てきて、
剛さんの中で音楽の意味合いが変わってきてるんだろうなって。


音楽は、誰かと競う矛でもないし、自分を守る盾でもない。
ただこういうふうに吹きたいとか、こういう音を出したいという気持ちを映す、
硝子のような鏡のようなものなんだなと。

演奏できることがすごいのではなくて、
音楽で人の心が動くからすごいんだよなーって。

手段である音楽が芸術に分類されるのは
人の心を映しているからだし、
人の心を動かせるものだからなんだろう。

244さんの歌声を、ダンスを、ギターを感じて。
そんなふうに思いました。

******

5月末に室内楽のコンサートがあって。
コンサートの前日に「一緒にやりませんか」とお誘いを受けたのだけど。

1ヶ月間ずーっとモヤモヤとしていたので。
「こんな精神状態で演奏できるのかなぁ」と思って、
すぐ返事できなかったんですが。

剛さんの歌を聴いていたら「やっぱりやりたい」と思い、
ご一緒させていただくことにしました。

持久力がなく、どうにも伸びのある音を出せない私にとって、
室内楽はハードルが高いのだけど。
チャレンジしないことには何も生まれないと思って。

2ヶ月しかないけれど、精一杯頑張りたいと思います。

******

久々に書いたらエネルギー消耗しました(笑)
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